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​慶應義塾アメリカ学会設立趣意書

設立趣旨にご賛同いただける方は、下記のボタンをクリックしていたけますようお願い申し上げます。

  1853年、アメリカ合衆国の掲げる「明白なる運命」 Manifest Destinyの旗印の下、マシュー・ペリー提督の指揮する黒船が浦賀に来航し、我が国が鎖国から脱して以来、慶應義塾とアメリカのあいだには深く稠密な関わりが結ばれて来た。にもかかわらず、 2018年には創立 160年を迎えようとするいまもなお、本塾にはアメリカ研究に特化した専攻も研究所も存在しない。もちろん、 20世紀後半には何度かアメリカ研究所創設案が検討され、 21世紀を迎えて G-SECアメリカ研究プロジェクトが稼働した時期もある。しかし、 9.11同時多発テロ以降、アメリカニズムの別名としてのグローバリズム/グローバライゼーションの批判的再検討が急務とされる昨今では、従来の国境や因襲的な学問領域を超えた水準におけるまったく新しい視点からアメリカを読み直し、アメリカ研究を組み直す要請が高まっている。

 ふりかえってみれば、我が国の開国後、慶應義塾のみならず近代日本そのものの父祖と呼ばれる福沢諭吉は、アメリカ受容のために誰よりも意義深い仕事を残した。彼は1862年のヨーロッパ歴訪に引き続き、1860年と1867年にはアメリカ合衆国を訪れ、この時万次郎と共にウェブスターの『発音英語辞典』を購入したが、これは後に彼らが外交文書や西洋文明に関する本の翻訳に大いに資した。アメリカ建国の父祖トマス・ジェファソン起草になる「独立宣言」( 1776年)の本邦初の訳業を含む『西洋事情』(1866年)においては、「すべての人間は平等である」“All men are created equal”が「天の人を生ずるは億兆皆同一撤にて」と訳されているが、これは同時に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずといえり」と変奏されてのちの国民的ベストセラー『学問のすゝめ』(1872~96年)冒頭に置かれ、同書は70万部を超す大ベストセラーとなる。かくしてアメリカ民主主義精神は巧みなまでに近代日本精神へ移植されたのである。

 福沢はまた、1883年にアメリカ留学中だった自らの子息を介して、キリスト教的三位一体を否定しジェファソン自身の思想的背景ともなった人間主義的体系ユニテリアニズムを知り、84年には<時事新報>に本邦初のユニテリアン紹介記事を寄稿するばかりか、87年にはアメリカのユニテリアン教会から派遣された宣教師アーサー・メイ・ナップとも親交を結び、彼の助言によって慶應義塾へのアメリカ人招聘講師を決定している。この時、ナップは福沢をポスト・ユニテリアンとしての超絶主義思想家ラルフ・ウォルドー・エマソンにたとえていた。18世紀末から19世紀半ばまで、すなわち独立革命時代のジェファソン的な「独立精神」(independence)からロマン主義時代のエマソン的な「自己依存」(self-reliance )へ至る半世紀あまりはアメリカの国家的独立が文化的独立へ結実する歩みそのものだったことを考えると、こうした時代的趨勢をおいて福沢ならではの「独立自尊」の成立を考えるのは不可能である。

 かてて加えて1898年には、福沢はハーヴァード大学総長エリオットへの書簡で英文学の専門家を要請し、それに応じて、何と前掲ペリー提督の孫にあたるアメリカ文学者かつ比較文学者のトマス・サージェント・ペリーが慶應義塾へ派遣された。黒船による開国と日米和親条約締結から我が国で最初期のアメリカ研究へ至る歴史には、ひとつの眼に見えない、しかし決して薄弱とはいえない因果の糸が通っている。

 もちろん、 20世紀における二つの世界大戦を経て、日米関係は大きく変わった。とりわけ 20世紀後半のヴェトナム戦争から湾岸戦争、 21世紀のイラク戦争におよぶ歩みにおいて、反米どころか嫌米、拝米ならぬ排米を主張する動きもあるかと思えば、憲法改正や理工系学問ひいては軍事研究を偏重する動きもある。しかしそうした時事的喧噪にいたずらに流されないかたちで、世界初の民主主義の実験場をもたらしたアメリカニズムの精神を、アメリカ外部の視点からーーひいては脱アメリカ的な視点からーーいまいちど再検証すること、単語の最も建設的な意味におけるトランスナショナル・アメリカン・スタディーズ( Transnational American Studies)の可能性を追究することは、決して無意味ではない。

 このように断言するのは、福沢諭吉が何よりも尊重したのが「学問の自由」であり、それに対して、本質的に学際的なアメリカ研究が貢献できることは決して少なくないからだ。ふりかえってみれば慶應4年( 1868年)、慶應義塾が発足した記念すべき年は、戦乱の喧噪かまびすしい年であった。維新政府軍と旧幕府派の対立が激化した戊辰戦争が勃発し、5月15日の上野彰義隊の戦いを迎えた江戸市中は混乱をきわめ、「芝居も寄席も見世物も料理茶屋もみな休んでしまって、八百八町は真の闇(やみ)、何が何やらわからないほど」であったと『福翁自伝』は伝えている。けれどもそのなかで福澤諭吉はいつもと変わらず土曜日の日課として、ブラウン大学学長も務めた経済学者フランシス・ウェーランドが自由貿易を説いた経済書(Francis Wayland, The  Elements of Political Economy, 1837)を講述する授業を、ただひたすらに続けていた。グローバル世界の警察官を自任するアメリカもあれば、いかなる喧噪の下であれ学問の自由を啓発してやまないアメリカもある。 慶應義塾における限り、アメリカの肖像が必ずしも一枚岩でなく、学問の自由そのものと密接に連動していたことは、いまも銘記しておいてよい。そして現在、本塾の多様な学部における優れたアメリカニストたちの活躍は、21世紀のアメリカ研究を批判的に発展させる素地がすでに熟しているのを実感させる。

 アメリカを中心に学問領域のみならず学部を横断するネットワークとして、いまこそ慶應義塾アメリカ学会を立ち上げる好機が訪れた。

 広く賛同者を募る所存である。

 

                    

設立趣旨にご賛同いただける方は、下記のボタンをクリックしていたけますようお願い申し上げます。

慶應義塾アメリカ学会発起人

        巽孝之(発起人代表)

        宇沢美子、梅津光弘、大串尚代、岡山裕、

        奥田暁代、杉浦章介、駒村圭吾、渡辺靖

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